猫は怨念が強い♪
- 国際占い師カズコ
- 2006年9月22日
- 読了時間: 0分
こんにちは〜!
今日はこの記事を読んで、え〜!と思ってしまった!まずは記事を読んで下さい。
坂東眞砂子さん寄稿…子猫を殺す時、自分も殺している。 私は人が苦手だ。人を前にすると緊張する。人を愛するのが難しい。だから猫を飼っている。そうして人に向かうべき愛情を猫に注ぎ、わずかばかりの愛情世界をなんとか保持している。飼い猫がいるからこそ、自分の中にある「愛情の泉」を枯渇させずに済んでいる。だから私が猫を飼うのは、まったく自分勝手な傲慢(ごうまん)さからだ。
さらに、私は猫を通して自分を見ている。猫を愛撫(あいぶ)するのは、自分を愛撫すること。だから生まれたばかりの子猫を殺す時、私は自分も殺している。それはつらくてたまらない。
しかし、子猫を殺さないとすぐに成長して、また子猫を産む。家は猫だらけとなり、えさに困り、近所の台所も荒らす。でも、私は子猫全部を育てることもできない。
「だったらなぜ避妊手術を施さないのだ」と言うだろう。現代社会でトラブルなく生き物を飼うには、避妊手術が必要だという考え方は、もっともだと思う。
しかし、私にはできない。陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。
もうひとつ、避妊手術には、高等な生物が、下等な生物の性を管理するという考え方がある。ナチスドイツは「同性愛者は劣っている」とみなして断種手術を行った。日本でもかつてハンセン病患者がその対象だった。
他者による断種、不妊手術の強制を当然とみなす態度は、人による人への断種、不妊手術へと通じる。ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。
エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが、虐待にあたるか精査してほしい。事実関係を知らないままの告発なら、言論弾圧になる。
イタリアから帰国後はフリーライターを経て、ジュヴナイル小説で作家としてとしてデビュー。後に一般小説に転向した。ホラー小説と呼ばれるジャンルの作品も多いが、「死」と「性」のみを主題とした作品が特徴である。
現在はタヒチ(仏領ポリネシア)に在住し、家庭菜園で自足自給する生活を送る。
20世紀末 – 21世紀初頭の日本人の前向きな実感は食欲と性欲しかないのではないか、という主観のもと、表現を続ける。著書『愛を笑いとばす女たち』の中で、「すべての男は、私だけに夢中になってほしい」「どんな女も、心の中にはこんな願望を抱えている」「つつましい女は『すべての』とはいわないで、『せめて一人の』と言い換えるだろうが大差はない」と語る。
2006年8月18日の日本経済新聞夕刊に、飼い猫が産んだ子猫を崖下に投げ捨て殺すという内容のエッセイを掲載し議論を呼んだ。交尾し子を産むのが雌という性を持つ猫にとっての幸せであり、その幸せを奪わないことと引き替えに生まれた子をすぐに殺すとする内容。
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私が幼少時代に一番仲良くしていた動物に猫がいる。エジプト時代には猫神様とされていた。
キプロスでも野良猫は放置状態である。
犬の場合は噛んだり、狂犬病というのがある。
もちろん、新種の病気として去年辺りに中国で猫を食べていた人が死んだりしている。
猫を食べるという行為は勇気がいることだ。
キプロスでは9千年以上前に猫を埋葬している。
私はこの方の意見はどうしちゃったの?と思う。
幼少時代にうちは母も猫好きで嫌いなのは父だけだったが、嫌いと言いながら可愛がっていた。
道端で泣いている捨てられた蚤だらけの猫を拾って帰っては母に「拾っただけど〜!」と言って高校生ぐらいまでは拾っていた。
だからうちには猫が多くいた。
近所の猫もなぜか?いたし、田舎の人間だから避妊とかの知識も母はないので、どんどん、猫は増えて行っている時期もあった。
生まれて生後数ヶ月で母親の猫が子供を噛み殺しているのを見て・・・。どうして?と思ったことがある。
小学生ぐらいの時に夏になると隣の家に関西から来る同じくらいの年齢の子がいた。
うちに来ると猫を虐めていた。どうして?私がそんなことするの?と聞くとこの方が面白いじゃ〜んと
言うので、私はXXちゃんにもじゃ〜!私がしようかと言うと黙っていた。
ある日、三毛猫のオスがいなくなった。
山に行ったといっても生後3ヶ月だし、山にも行けないだろう。私は一人で泣きながら、探していた。
何時間も探した。すると、井戸水を貯蓄している所から子猫の声がした。
「にゃ〜!にゃ〜!」一生懸命井戸水を貯蓄している所のマンホールを子供一人の力で開かず。私はおろおろしていた。
母も父も働いていた時間だったので、近所の人に頼んだ、最初はこんなところに猫がいないよ、かずちゃんの気のせいでないの?と言われたがここにいる。それも一匹だけでない。いなくなくなっているのは4匹だったので・・・。
すでにいないと思った時間から数時間経っていた。
開けて貰うとそこには必死で泳いでいる子猫達がいた。でも、泳いでいる所から数メーターあるので家に帰ってざるを持って行き、浮き沈みし始めている子猫達を助けた時には夏の井戸水は冷たい。
タオルで巻いてどうにか息が出来るようにしたが、
亡くなった。
家に帰って来た母と父にその事を言うと猫嫌いの父も泣いていた。
私は犯人を知っていたが、これを言うと近所の人付き合いもあるだろうからと黙認した。
すでに引っ越していたのだが、その隣のおじさんが不時の病で入院していることを知った。
定年退職と共に大豪邸を建てたが、入らないままに
お医者さんも不思議がる病気の間。そのおじさんは魘されながら「勘弁してくれ〜!わしが悪かった。
助けてくれ〜!お願いだ〜!」と繰り返していたそうだ。悪夢の中で猫達が追いかけて来ていた様子。
魘されながら亡くなった。
日本昔話の中でも「化け猫」とかいろいろとある。
犬よりもコアラよりも猫は怨念がある。
逆説では「招き猫」もいる。
動物好きな私にとっては胸の痛む話だ。
それでも猫が好きと言えるのだろうか。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。
*写真はゴリ達です。*
大きくなって来てます。マキと読んでいるトラ猫はゴリよりも大きくなって来ているので、そのうち旅に出るかも知れないです。
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