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気が遠くなるほど長いドキュメンタリー映画

執筆者の写真: 国際占い師カズコ国際占い師カズコ

こんにちは! いつもありがとうございます。 ありがとうございます。 突然、マイケルの従兄弟の映画監督から電話を受けて、パフォスで一夜限りの彼が撮影したドキュメンタリー映画を公開するから出来れば来てねというので、マイケルも私も身体に鞭うちながら、住み始めたばかりのパフォスで公開される映画館の場所も分からないで公開場所の映画館に電話をして聞いたりしたが、誰も電話には応答しない様子だった。 従兄弟に電話して場所を確認して、少し早めに招待券を貰うために映画館に行ったときに、ニコシアとは雲泥の差の寂れた、いや、レトロなどこかで見た内装、ギリシャのテサロニキの国際映画祭の映画館の感じに似ていた。 久しく監督には会っていないので、映画よりも社交辞令ということで行ったが、私たちが一番乗りだったのか、監督以外、販売兼フィルム作業もしている男性が一人だけだった。 監督は「パフォスのプレミアはメディアでの宣伝を一切していないから、もう、マイク(皆マイケルをそう呼ぶ)とカズコが来てくれて嬉しいなぁ〜」とハンカチで額の汗を拭いながら、蒸し暑いパフォスのドキュメンタリー映画が始まった。 ニコシアではキプロスの大統領もご覧になり、多くの大臣達も足を運んで鑑賞したという作品だけに、英語字幕無し、ギリシャ語だけで途中寝るかもと思っていたが、4時間近い映画だったが、最後まで見ました。 ドキュメンタリー映画の内容は、20世紀の偉大な詩人の一人で、ヨルゴス・セフェリスというノベール文化賞受賞者であるセフェリスが1953年の11月に初めてキプロスを訪れ、それ以来何度かキプロスという国を旅したときに、写した288枚の写真を監督がセフェリスの娘から預かり、彼が撮った写真の場所、子供たち、僧侶、大人、木、教会、そして、その場所で綴った詩がギリシャの音楽と流れて来たりして、思っていたのはもっとドロドロした感じのドキュメンタリー映画だったが、構成が整っていて、詩人セフェリスと一緒に彼が訪れた場所を一緒に旅している気分にさせてくれた。 さすがに、監督はオスカーノミネーを受けただけあって表現が上手いと思ってしまった。 古いフランス映画ぽっく仕上がっていた。 写真に写っていた子供たちも大人になり、探すだけでも一苦労した様子だった。 一枚、一枚の写真を頼りに場所探しをするのだから、時間が掛かったようすだった。 撮影を始めてから、3年以上経って、公開されたが、セフェリスが訪れた場所は今でも解決していない南北問題の場所も行っており、撮影を始めたときは、北側にUNの誘導なしにして入国できなかった為に、壁が壊された後に撮影している。 ギリシャ側とトルコ側の2本立ての映画になっていたが、トルコ側を最後まで見ているキプロス人はいなかった。 トルコ側の映画には字幕がフランス語でつけられていた。 ギリシャ系キプロス人にしてみると、自分たちの住んでいた場所を取られた思いは今でも強い。教会も壁画を削っていたり、弾丸の後が見える。 悲しいことに住んでいたギリシャ系キプロス人のお墓の十字架をすべて倒されている画像を見ると、解決しない要素はそこにあるのではと思った。 同じ人間として、相手の信じる宗教を尊重出来ないのに、解決出来るだろうか。 長い、長い、映画が終わり、出来れば速攻でベットに倒れ込みたかったが、今年になって滅多に会わない従兄弟と婚約者がどうしてもお茶だけでもというので、彼らが宿泊しているホテルでお茶をした。横目でマイケルを見るとかなり疲れていた様子だった。 わたしが「もう、帰ろう!」と言うと、「もう少し良いよ!」と、話している間に、私たちは気が抜けたサイダーのように、だんだんと相手が言っている声も耳に入らなくなるほどだったので、帰ることにした。車に乗って時計を見ると2時近くだった。 マイケルに明日も早いのだから、早く寝るように言いながら、私はメイクを落とし、やっとの思いで横になれた。 疲れ過ぎているとすぐに寝れると思っていたが、寝るにも時間が掛かった。 長い夜だった。 ありがとうございます。

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