星に願いを!
こんにちは! いつもありがとうございます。 ありがとうございます。 七夕の夜はとってもロマンチックですね。キャンドルライトも要らないほどの明るいミルキィーウェイの光で包まれた幻想的な夜空は宇宙からの贈り物。 雨が降らないキプロスでは、真っ赤な太陽が沈みながら、ヴィーナスの象徴の金星が現れ、月が登場する。 田舎だと、もっと綺麗に天の川が見えるのだろうが、光が沢山ある街中に住んでいるとそれほど見えないのが残念だ。 でも、こうやって毎年、イベントの日を夫婦、家族と共に迎えられることへも感謝したい。 先週末、マイケルから帰宅時間を伝える為に、電話があった。 ここ最近は疲れが私も溜まっていたので、少し、昼寝をしたらと言われたので、しようかどうしようか?考えながら、洗濯物を取り込んだりしていた。 4年目の夏だが、私もマイケルも昼寝が出来ない。 山に行くと酸素が少ない為に私は眠たくはなるが、普段は昼寝は出来ない。 ダラダラと暑い中で家事をしていたら、マイケルから電話があった。 電話の内容を聞いても把握出来ずいるまま、病院に行くということだった。 何があったのかはっきりしないままで、不安が募る。 ただ、電話が出来るぐらいだから、大きな怪我ではないのか。 どうなんだろう・・・。 と不安が募る。 病院にいるときに、電話は取れないだろしと思い、SMSで連絡をして欲しいとメッセージを送った。 1時間ほどして、「運転出来るから、これから帰る。」と連絡があった。 帰って来た。 血だらけのT−シャツでふらふらしながら帰って来た。 話を聞くと、ゲートと車に挟まれて頭を強く打ったり、足も打撲したようだった。 その話を聞くと、「誰もいない平坦な場所で止めていた車が動き始めて襲って来て、ゲートと車に挟まれた、と言うので、そんな止めてあった車が動き出すことはないでしょう。いや〜、本当の話なんだけど・・・、死ぬかと思った。抜け出せないし、誰もいないし、もしも、暑さのせいとか、痛さの為に失神していたら、友達に携帯で電話出来なかっただろうし、助けを求めることが出来ずにいただろうから、僕は今、ここにいないよ。生きていることに感謝している。幸運だった。」 痛々しい、縫い目、頭の傷。 私もマイケルが無事で生きていることに感謝した。 義理姉のベラが看護婦だから、薬を買いに行った後、見せに行って来ると言って帰って来た。 マイケルが今日生きていたことは、本当に奇跡だから、ダスカロスのところへ行きたいというので、水をペットボトルに入れて出かけた。 本来なら、絶対休養を取った方が良いと思うと私が口を酸っぱくして言っても、「大丈夫、大丈夫だよ。」と日曜日も朝早くからアルバイトに出かけていた。 帰って来て、軽くブランチを二人で食べていたら、映画監督の従弟から彼の弟さんのロシア人の奥さんのお母さんが今朝方亡くなったから、お葬式に参加して欲しいと連絡があった。 私もマイケルもそのお母さんと面識があるかどうか記憶になかった。 40度以上の暑い中、土曜日に奇跡的に助かったマイケルと私はお葬式に参加することにした。キプロス式というのをあまり理解していないわたし達は友人に電話をしてどうしたらいいのか聞いた。 お葬式は教会で行われるとのことだった。 ネコ一匹も歩いていない暑い中、日曜日にお花を売っている花屋さんが見つからない。どこも閉まっていた。 ここも閉まっているのかと思っていたら、開いていた。 車で40キロほど行った所の教会に身内だけが集まっていた。 小さな教会。 お花を祭壇に皆が供えていたので、私も供えた。 御棺の人のお顔を見ると、一度だけ会ったことのあるおばあちゃまだと思った。 その瞬間、涙がポロポロと流れでた。 1時間ほどの儀式が終わり、霊柩車に御棺を乗せて、近くの墓場までみんな、歩いて移動した。 すでにお遺体の為に、大きな穴が掘られていた。 僧侶がお墓の前でオリーブオイル、水、お皿の上に麦を煮た物を土の上に掛けて、お皿を割っていた。 新体操選手の孫の二人が泣き崩れていた。 友人の一人が「癌だったようで、末期だったみたいで、病院に行ったときには余命1週間ということで、病院で息を引き取ったんだよ。」と聞くと、私は胸が張り裂けそうだった。 おばあちゃまはロシアから娘の住んでいる国に引越して来たのも、自分の体を知っていたからだろうと思う。それでいて、末期になるまで何も言わず、黙っていたのかと思うと痛々しい。 私の前夫も末期癌で余命3週間と言われたが、1週間で亡くなった。 痛みが末期の場合はあるらしい。痛い、痛いと足を擦ってあげていた映像が蘇って来た。 おばあちゃまが天に無事に帰れることをお祈りした。 その後、キプロス式だと、パン、オリーブ、チーズ、赤ワインを皆で食べる。 アルメニアから帰国してから、会ってない人たちも多くいた。 みんなに元気?と声を掛けれながら、赤ワインを飲み。 キプロスコーヒーを従弟のお母さん宅で飲む為にみんな移動した。 50人以上の人たちが木陰でキプロスコーヒーを飲みながら。 おばあちゃまを惜しんだ。 業界で働いている人が多い家族だからか、おばあちゃまの義理の息子がおちゃらけて皆を笑わしていた。 民族の違いなのか、家族の違いなのか、笑いがあった。 私はマイケルが大事に至らなくて良かったと心より思いながら、昨夜は少し寝れた。 守ってくれた見えない方々にも、感謝した。 マイケルにも、死なずに帰って来てくれたことに感謝した。 大きな学びの週末になった。 ありがとうございます。
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