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愛を与えることが出来なければ、受け取ることもできない

執筆者の写真: 国際占い師カズコ国際占い師カズコ

もしも、あなたが現世でソウルメイト、ツインメイトとの再会を願っているのであれば、この世での「カルマの清算」から逃げていてはいけません。


あなたはこの世に生まれ変わることで、前世で果たせなかった夢や使命を繰り越して、今、あなたはこの地球に存在しています。


それと同時に「カルマの清算」を現世でやり遂げたいと願って、生まれ変わっています。


来世まで繰り越すとなると、更なる複雑な課題が増えるだけです。


また、来世で平和な環境に生まれるとは限りません。


「いまというときに、カルマの清算をしないで、あなたはいつ、カルマの清算をするのでしょうか?」


カルマの種類にもいくつかあります。


1.過去世からの個人のカルマ


2.過去世からの家族のカルマ


3.過去世からの家系のカルマ


4.過去世から他人に何かしたことで、相手にもカルマを植え付け、自分にもカルマを作ってしまった、共存カルマ


5.国のカルマ


6.地球のカルマ


7.現世で作ってしまったカルマ


このカルマの中で、過去世で他人と関わり、何度も同じような問題を設定して生まれ変わったが、どちらかの一方が同じような心のクセを修正することができず、また、生まれ変わっても同じようなカルマの問題で悩んでいる人がいます。


特に、ソウルメイトで幾度もの過去世を伴にして来た夫婦や恋人は、同時に、カルマの清算をするために、カルマメイトとして、魂の成長を懇願して、夫婦になることで、そのカルマの清算が出来ると計画して生まれています。


しかしながら、いざ、結婚して、子供が生まれ、また、親族などの要求や社会との絡みが同時進行してしまうために、カルマの清算どころではなくなってしまうことも多々ある様子です。


色々な例がありますが、韓国ドラマのようなストーリーのような「貧しい家庭に生まれ、ある日、好きになった人が、超がつくほどの有名な会社の御曹司君とのラブストーリー」


実際にもそのような人がいらっしゃることでしょう。


そのような人の過去世は、美貌も物質的にも恵まれ、物質的快楽に溺れ、本能的快楽を優先したために、死後の世界には、同じようなタイプの人達が集まる霊界に暮らすことで、「私、綺麗でしょう?見てみて!」という魂の集団ですから、自分に注目が集まらないことで、孤独な心境を味わうことになり、地上で持っていた物質など何の頼りにもならないことに気づくことになります。

虚栄心や自己顕示欲が強すぎると、スピリチュアル・ガイド、高級霊達も霊的成長が霊界にいても上がることも、磨かれることもない様子なので、肉体を持った人間として生まれ変わるときに、過去世とは真逆の環境に生まれ変わることで苦労させることを設定させていることもあります。


時には、顔にあざや身体的にハンディキャップを持たせることで、人に嫌われてしまったり、孤独感を生身で体験することで、魂の成長を促しています。


他の例では、自分の家族のために、人々を騙し、不幸にさせた過ちの方、自分の家族が世界で一番だと思い込み、自分の家族には迷惑をかけたり、騙したり、他人がどれほど困って苦しんでいても平気で無視したり、無関心を装って決して手を差し伸べようとしなかった結果、そのような人の死後は、霊界に還り、初めて、利己的な生き方の間違いを実感することになります。


自分が地上で暮らしているときに、愛を他者に向けることが出来なかったと後悔することで、霊界に還っても、過去世を伴にしていた家族とは会えない環境の魂となり、孤独状態に置かれながら、再度、生まれ変わりを待つことになります。


生まれ変わったときに、自分が過去世で他人に行ったことを他人からされてしまうことになります。


また、生まれ変わった家族に自分がしたようなことをされてしまうことになります。

例えば、食事を与えて貰えない(姥捨て山のように、自分の親を捨ててしまった場合)、自分の家族や子供が困窮している目の前にしながら、誰からも手を差し伸べて貰うことが出来ず、辛い体験をするように設定されて生まれ変わっています。


自分の意思以外にも、スピリチュアル・ガイドたちからの配慮のこともあります。


また、現世でも、自分が結婚して子供が出来た同時に、自分の家族だけに執着して行こうとすると、家族や子供から相手にされず、家庭があっても、孤立状態に置かれることで、カルマを解消させることもあります。


霊的成長をしたいならば、自分のカルマから逃げないことです。


人間の運命と霊的成長は、この「カルマ」の質によって、決められます。


この地上で生活している間に行ったことは、その後の死後の世界、または、来世に繋がって行きます。


それを隠すことも誤魔化すことも出来ません。


それは、自分という魂の自我の中に刻まれ、自分が地上で行ったことへの反省を霊界に還ってからすることになります。


もちろん、カルマにはマイナスだけではありませんから、プラスのカルマを地上にいる間に行った場合は、過去世からの良いカルマを引き継いで生まれることになります。


その良いカルマによって、良い波動の人々とお付き合いすることで、自分が過去世で犯した罪を償うことを応援してくれる人も増えて来ることでしょう。


その罪の報いを刈ることが出来るのは、自分自身なのです。


この世にいるすべての人に多かれ少なかれ、過去世からのカルマを持ち越して生きています。


長い期間、生まれてから死ぬまで、嫌でも関わる「家族のカルマ」また、結婚した人と約束して来た「夫婦のカルマ」は、いくら偉大な霊能者に祈祷して貰っても刈ることは出来ません。


また、悪い事が起こるのは、邪悪な霊だから、「除霊しましょう!」という霊能者も存在するかも知れませんが、その除霊しようとしているのは、スピリチュアル・ガイドかも知れません。


この世的に見て、悪い事であっても、霊的には、「あなたのカルマを刈り取る」お手伝いをして下さっていることもあるのです。


霊的成長を望む人は、霊的成長を促すような生活をすることがこの世での課題なのです。


しかし、この世にはあらゆる誘惑や恐ろしい魔物ような物が形や姿を変えて近づいて来ます。


日常生活を物欲や性欲、また、毒物等に流されないように霊的にコントロールして行かなければなりません。


自分の五感が満たされることばかり、追求していると、この世でのカルマの解消どころか、何のために生まれ変わったのかさえも、思い出せないまま、霊界に還る時期が訪れて慌てて、どこかに寄付をしたり、高額な戒名を貰っても、すでに、死後の道先案内人があなたをその霊界に連れて行ってくれるだけです。


何十億というお金を本当に必要な人のところに寄付しても、多少は優遇してくれる可能性もありますが、霊界はそんなに甘いところではありませんから、早い段階で霊的成長を目指しながら、カルマの清算を行うことで、心が軽くなり、波動も上がり、人生が180度変わるような出来事が増え、生まれたことに感謝しながら、他者に思いやりと寛容性を持ち、天命を全うして行くことです。


もちろん、霊的な生き方をせず、この世的な快楽を求めて生きたからといって、誰からも非難されない人もいらっしゃるかも知れませんが、霊的成長は止まったままになることでしょう。


カルマの解消とは、夏休みの宿題を夏休みにコツコツとせず、夏休みが終わる前日になって、「あの宿題も、この宿題も何でしてこなかったのだろう・・・。」と、家族に泣き叫んでも、次の日、学校に行って「先生、夏休みの宿題帳を忘れました。」と言い訳したところで、次の日には提出しないといけません。


いくら嘘をついても、霊界にいらっしゃる方々にはすべてお見通しです。


また、もう一つ、想念というのも、マイナスのカルマを生み出します。


ですから、もしも、邪(よこしま)な心、復讐心、悪意を抱いている自分の心を感じる場合は、自分自身という殻から抜け出すことが出来ないまま、心の病と向き合うことになります。


歪んだ心は歪んだ性格になり、来世では、卑屈な性格になってしまうことにならないように、他人に向けたナイフは、最終的に自分に向けられてしまいます。


プラスのカルマ、または、マイナスのカルマを生み出すのも、すべて自分の心が生み出していることをときどき、思い出して下さい。


最後に日本昔話の「貧乏神と福の神」のお話を綴ります。


むかしむかし、ある村に、とても貧乏な男がいました。

働き者の男ですが、いくら働いても暮らしはちっとも楽になりません。

それと言うのも、実は男の家には貧乏神が住み着いていたからです。 そんな男に、村の人たちが嫁(よめ)の世話をしました。

 この嫁は美人な上に働き者で、朝から晩まで働きます。

「いい嫁ごだ。よし、わしも頑張るぞ!」

男は以前にも増して、働く様になりました。

そうなると、困ったのは貧乏神です。

「何とまあ、よう働く夫婦じゃ。これでは、ここに居づらくなってきたのう。わしゃ、どうすればいいんじゃろう?」と、だんだん元気がなくなってきました。  それから何年かたった、ある年の大晦日。

男の家では、わずかながらもごちそうを用意して、ゆっくりと正月を迎えようという時。

「うぇ~ん、うぇ~ん」

天井裏から、泣き声が聞こえてきます。


「おや? 誰じゃろう?」

男が見に行くと、何とも汚い身なりのおじいさんが一人、声を張り上げて泣いていました。

「あんたは、一体誰かね?」

「わしか? わしゃ、貧乏神じゃ。 ずっとむかしからこの家に住んでおったのに、お前ら夫婦がよう働くもんで、今夜、福の神がやって来るちゅうんじゃ。 そしたらわしは、出て行かんとならんのだ。 うぇ~ん、うぇ~ん」

男は自分の家の守り神が貧乏神と聞いて少しガッカリしましたが、それでも神さまは神さまです。 下の部屋に降りてもらって、嫁に訳を話しました。

 そして貧乏神が可哀想になった男は、ついこんな事を言いました。

「せっかく、長い事おったんじゃ。これからもずっと、ここにおって下され」  すると、嫁も口をそろえて。

「そうじゃ、そうじゃ。それがええ」

どこへ行っても嫌われ者の貧乏神は始めて優しい言葉をかけられて、今度は嬉し泣きです。「うぇ~ん、うぇ~ん」  

こうしているうちに夜もふけて、除夜(じょや)の鐘が鳴り始めました。

これが、神さまの交代する合図です。 その時、♪ トントントンと、戸を叩く音がしました。


「こんな夜更けに、どなたですじゃ?」

「ガッハハハハ。 お待たせ、お待たせ。 わしは神の国からはるばるやって来た幸福の使い。 誰もがわしを待ち望む 福の神だー!」

ついに、福の神がやって来ました。 福の神は、貧乏神に気がつくと、

「何だ、薄汚い奴め、まだおったんか。はよ出て行かんと、力ずくでも追い出すぞ!」  だが、貧乏神も負けていません。

「なにお~っ!」 と、福の神に突進しましたが、やせてヒョロヒョロの貧乏神と、でっぷりと太った福の神では勝負になりません。

それを見ていた夫婦は、「あっ、危ない!」「貧乏神さま、負けるでねえぞ!」

それを聞いておどろいたのは、福の神です。

「何で? 何で、貧乏神を応援するんじゃあ?」 夫婦は貧乏神と一緒に、福の神を家の外へ押し出します。「わっせい! わっせい!」

 とうとう三人がかりで、福の神を家の外へ押し出してしまいました。

 追い出された福の神は、あぜん、ぼうぜん。 「わし、福の神よ。 中にいるのが、貧乏神。 貧乏神は嫌われて、福の神は大切にされるはずなのに。 これはいったい、どういう事?」

首をひねりながら、すごすごと引きあげて行きました。 「やった、やった!」

 次の日は、めでたいお正月です。 貧乏神も一緒に、お正月のお祝いをしました。

それからというもの貧乏神のせいで、この家はあまり金持ちにはなりませんでしたが、それでも元気で幸せに暮らしたという事です。

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