愛と思いやりで世界は変われるのか?
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
去年、日本以外にも旅行に行った為、マイケルが希望していたモロッコ行きを今年の春先頃に行こうと思って計画をしていましたが、その時期に特別老人ホームにいる義理母のカトリーナの様態が芳しくなかったため、すこし保留にと思っていると、夏に砂漠に行くのも辛いので、ポーランドに行きました。
こちらが涼しくなってからと思い、10月中旬にマラケシュとフェズのホテルは取っておりますが、ここ最近の欧州での悲しい犯罪はイスラム教徒による無差別に人の命を奪う行為を見ていると、イスラム教徒の国では比較的安全とは言え、何かあっても保証は無さそうですし、マラケシュからフェズまでは、電車移動で8時間!も掛かるので、わざわざ、そんな辛い思いをする場所に行かなくても良い?と思っていますが、まだ、キャンセルはしておりません。
私たちの大部分の人々は、自分自身の霊的本質に気づいていない生活を送っています。
来世を意識していないから、現世でも、過去世と同じような行動を取っているかも知れません。
そうでなければ、なぜ、魂も霊も考えない、単なる物体のような行動をしているのでしょうか?
もちろん、90%以上の人々は、神の存在、天国の存在、そして、死んだら霊界に還るということ信じています。
しかしながら、私たちの行動は、それを裏切った行動をしています。
私たちは他者よりも、自分都合で、お互いを粗末に扱っています。
21世紀になり、水瓶座の時代に突入して、16年が経ちました。
医学も科学も進化し、一昔では考えられないほど他国の情報やニュースをメディアやSNSを通じて、理解出来るようになりました。
しかし、絶え間なく戦争をしている国も存在します。
ある国では未だに、主は貧しい国から出稼ぎに来たメイドを奴隷のように扱う人達もいます。
政治やある組織にとって平和はお金儲けに繋がらないと言われています。
建物が壊れないと、新しい建物を建てることが出来ないため、破壊し、同時に武器を作っている国は武器を売らないと儲かりません。
そのような考え方を持つ指導者に国を任せてしまうと、どこか洗脳に似た集団意識が芽生え、独裁者の意見が絶対的に正しいとなり、その意見に同意しない場合は「非国民」というような独特な雰囲気を作りだして行くことになります。
恐怖は、私たちの真の霊的本質を理解することを妨げます。
私たちのような霊的存在は、「愛と思いやり」を持つ必要があります。
しかし、「愛」を知らない人に「愛」を理解して貰うことは不可能でしょう。
それでも、私たちは「地球人」という場所に人種や宗教は異なるが、生まれ変わりました。
日本人だから偉い、XX人だからダメではなく、この地球に生まれ変わった人々に個々の使命や目的、そして、カルマの清算をするために敢えて、貧困な家庭で生まれたり、迫害される人種を選んで生まれ変わる魂もいます。
XX人だから、その人を見ると、冷たい目で見たり、あからさまに差別をしたりする上から目線の人種もいます。
冷たい目で見られ続けた人達は、拒否され、馬鹿にされ、侮辱され続けた結果、憎しみを誤った思想で報復を考える人もいます。
ご存知の方も多いと思いますが、「目には目を、歯には歯を」という言葉があります。
実際には、古代メソポタミアの、『ハンムラビ法典』は報復を奨励したものではなく、無制限報復が一般的だった原始社会において過剰な報復を禁じるために、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を制限する目的の言葉だったそうです。
しかし、今では、「遣られたら遣り返せ」というような風潮になりつつあります。
もしも、あなたもこの世が平和であることを願うのであれば、「愛」を理解する必要があります。
愛は、この地球人に生まれ、もっとも難しい課題でしょうが、そのエネルギーは純粋で、高尚なエネルギーです。
その最高の波動で、愛は知恵と意識の両方を持ち合わせています。
そして、すべての存在を結びつけるエネルギーです。
愛には終わりはありません。
本物のヒーラーが発するエネルギーは愛のエネルギーに関係があります。
ヒーリングのエネルギーは霊的エネルギーのひとつです。
もっと時間は掛かるかも知れませんが、ヒーリングのエネルギーを肉眼で見えることが出来るようになるかも知れません。
波長、波動は振動パターンで成り立っています。
ミクロの世界の話になりますが、気体の分子は液体の分子よりも速く振動し、液体の分子は個体の分子よりも速く振動します。
愛というエネルギーは唯一の純粋なエネルギーなのです。
この「愛」を、今を生きる人は学ぶために、生まれ変わっています。
様々な「愛」があります。
他者を想う愛に勝るものはないでしょう。
私たち地球人の人生で重要な目的は、「内なる愛」です。
それは、自由になることです。
私たちが行動と神の恵みによってカルマを克服することで霊的レベルが向上します。
そして、償いが終わると、次のステップとして、正しい方向へ導かれて行きます。
それは仏教で言えば、「悟り」に近い感覚でしょう。
過去世からの罪を償うことで、霊的にも正しい方向へと導かれるようになります。
自分を助けると同時に人助けもできるようになることでしょう。
その悟りを得るには、憎しみではなく、愛からしか生まれません。
この世に生まれ変わった人で何も「カルマ」を背負ってないという方はいません。
いくら聖人になった人でさえも、苦痛と嘆きという辛い試練を乗り越え、苦痛を与えられた人を許し、その上で愛を理解した上で、自由になれることでしょう。
内的な平和を探しも求めるだけでは不十分です。
そういう意味では、スピリチュアルを齧るぐらいで、本や誰かの話を聞くのは大変素晴らしことですし、それは手段であって、ゴールではありません。
瞑想を通じて、平和的な気持ちになることは最初の基本でしかありません。
本当の意味で霊的レベルを上げるには、苦痛も受け入れる必要があります。
人々の苦しみを癒すために手を差し伸べ、彼らの道の手助けをする必要があります。
しかし、彼らがそれを求めていないのに、癒しだからと言って説教をしても無意味になることもあります。
だからと言って、何もしないままで、流されて恐怖と共に生き続けると「愛」を理解できないままで、この世を去ることになります。
まずは、身近な人のために祈り、見返りを期待しないで忍耐強く見守って下さい。
もちろん、あなた自身が幸せである必要があります。
しかし、この時代、幸せをあまりにもアピールすると、羨望が恨みになることもあります。
持っている人よりの平和的なエネルギーよりも、持っていないマイナスで報復的なエネルギーの方が強いようです。
白色を黒く染めることは出来ませんが、黒色は白を黒く染めることが出来ます。
何も持っていない人は失うモノはありません。
しかし、時間を掛けてでも、その人の孤独感や苦しみを取り除いて行く必要が今の地球が変わるための試練と言えるでしょう。
いかなる人生であっても、その人生はかけがえなく輝くべき存在です。
その人生には、その人にしか引き受けることの出来ない使命と、責任があります。
「自業自得」という言葉あります。
自分の行いの報いを自分が受けることという意味です。
一般には悪い報いを受ける場合に使われます。仏教語で、自分のした善悪の行為で、みずから苦楽の結果を招き受けることという意味です。
あなたの人生に起こる出来事、降りかかる事件、それがいかなるものであろうと無意味な出来事はありません。
すべての時と場にかけがえのない意味があります。
その出来事を通じて、何か大切な目的を果たす宿命を背負っているかも知れません。
あなたの人生を奥行のあるものにするには、あなた自身が輝く方向へと導かれて行くことです。
予め知らされていないから、人生はゲームのように死を迎えるまでは何があるか分かりません。
ただひとつ、あなたが幸福になるように、宇宙はあなたにメッセージやサインを送り続けています。
言霊の中でも最高級の「愛」を理解できることで、より高いレベルの人々と繋がることになり、祝福されることになるでしょう。
時間があれば、祈って下さい。
ありがとうございます。
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