心の痛みから目をそむけてしまっていないか。
こんにちは! いつもありがとうございます。 ありがとうございます。 昨日は山の空気を体一杯に吸って、普段しない昼寝をしたりして、ゆっくり出来ました。 カテリーナの早めの誕生日会と表して、彼女の好きなケーキを持って行きました。 山の村人たちは、会うとお話したいみたいで、あそこで、ここで、さらに会いに来たりして、キプロスコーヒーを私が作ったりして、ケーキも美味しそうに頂いて貰えてシェアー出来ることに感謝致します。 カトリーナのお世話人のベトナム人の女性も明るくなりました。 それよりも彼女がギリシャ語を話しているのには、尊敬してしまいます。 私も頑張らなきゃ〜と思ってしまいます。 ここ最近、自己中心的な人たちが起こす事件が増えていますね。 これは日本だけでなく、世界全体に言えることだと思います。 さて、あなたはどれだけの幸福願望がありますか。 海外に住みたい、豪邸に住みたい、カッコいい人、綺麗な女性と付き合いたい、銀行口座に多くの大金が欲しい、セレブと呼ばれている人たちみたいに生活したい、年収が多い人と結婚したい等の願望が強い人であれば、現実逃避している可能性があるでしょう。 辛いことや苦しいこと、悲しいことがあっても見てみないようにし、心の痛みを直視するのを避けてはいませんか。 生きていて、楽しいことだけを考え、自分の気持ちを幸福にしてくれる人、頷いてくれる人、心地良い場所に居ようと思う心が強くなり、幸福にしてくれるものだけに目を向けて、自分はいつも幸せだと思い込もうとしていれば、幸福願望が強い人かも知れません。 しかし、現実は必ずしもハッピーなことばかりではありません。 不透明な社会でわたし達は生活しています。 目を背けてしまう悲惨なことが沢山あります。人類が誕生上してから、自分達の所有する土地を増やして行きたいという願望を抱いた歴史に残る人たちの犠牲の中で、戦争、内戦、内乱、テロなどが絶え間なく続いています。 さらに、優越感を感じたい人たちが作り出した差別や貧困があります。 そして、地震やハリケーン、台風、大洪水、火山の噴火などの自然災害も耐えません。 わたし達の心も同様に、幸福な気持ちだけを作り出しておらずに、怒りや不安、憎しみ、妬み、悲しみなどの感情が心の中で渦を巻いていることでしょう。 家族同士で傷つけ合い、夫婦や恋人同士で傷つけあい、友人同士で目の敵にしたり、親子の不和や兄弟の中でも、相手を傷つける行動や言葉を言ったりして、心の行き違いがあることでしょう。 世界中の人々から祝福されて結婚したダイアナ妃でさえも、結婚生活にて悩み続けました。 絵に描いたような幸福そうな家庭でも、家族の心はバラバラであったりすることもあるでしょう。 心の目が開かない間は、まるでオーストリアからフランスに幼くして嫁いだプリンセスのように、毎日、毎晩が非現実的なパーティの連続の日々。 自分が楽しければ、他の人たちの心も貧困さも、気にならないと言った調子でしょう。 そんな願望を違う意味で抱いたマザー・テレサさんなのどは、ハートのチャクラが開いていましたから、この世界は悲惨なものである。そして、素直にそのままの見たままの世界を現実に受け入れていました。 人は多かれ少なかれ十字架を背負って生まれ、育ちます。 自分だけが悶え苦しみ続けているのではないのです。 人間弱い生き者です。 人の心の弱さや愚かさに気づかずにいられません。 内面を磨くことは、自衛をするだけの為ではありません。 現実を見ることで、心の痛みに目を向けるには、それなりの強さが必要なんです。 人間の一生の幸不幸は最後の最後までわからないのです。 心に余裕がないか、また、不幸なときは、その不幸が永遠に続いて行くかのように思え、幸福そうな人をみると、まるで違う世界に住む人のように思えて、羨ましく思ったり、嫉妬心が芽生えたりするでしょう。 その一方、自分が幸福なときには一生それが続くかのように思え、不幸な境遇にいる人を見かけると「気の毒な人」と他人事のように思ったり、「あの人たちに比べると自分は恵まれている」と優越感に浸ったりして、自分の幸福を喜ぶことでしょう。 幸福、不幸はそんな単純な仕組みではないでしょう。 物質的価値観で物事を判断すれば、先に書いた願望を満たしていれば幸せになるのでしょうが、一生かかって死ぬときに、自分自身が一番、幸せだったかどうか分ることもあるのです。 他人のお褒めの言葉や表面的な人間関係を死ぬまで続けていても、内から来る幸福感ではないかも知れないでしょう。 蓮という綺麗な花は泥の中から、花を咲かせます。 わたし達人間は単純ですから、「幸福なときには、不幸を忘れ、不幸なときには、幸福を思い出さない。そして、感謝する気持ちを忘れてしまいます。」 人の幸福、不幸は西洋、東洋を問わずに古くから語り継がれているジンクスは、わたし達は順調に行っていたかと思うと、思わぬ災難や不運に見舞われたり、逆に不幸のどん底で生きる気力も失って悶えていると、予期しない幸運に恵まれたりすることがあります。 私が好きな言葉で「難事良き事」というのがあります。 ずっと不幸が続くこともないですし、幸運が不運の前ぶれであったりすることもあります。 小説など、この手の書き方をすると、自分のことのようにシンクロして売れるようです。 大切な心は、幸福なときも高ぶらず、不幸のときにもひがまずに、生きて行きましょう。 読んで頂き、ありがとうございます。 ありがとうございます。
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