人間らしく、正直に生きて行くことで、運を開くことが出来る
大好きな熊本に大きな地震が起きてしまいました。
震度7という大きな地震を立て続けに2度も体感した益城町の方々には、心より、一日でも早く、安心した生活をお送り出来るようにお祈り致します。
熊本に大地震が起きるということを誰が予想したでしょうか?
地震学者でさえも、誰も、想定外であると声を揃えて言っていました。
テレビで被災された男性の方のコメントが印象的でした。
「東日本大震災のとき、テレビを見て、人事のように思っていたが、まさか!自分もこんなにも大きな地震を体験するとは思わなかった。自分に起きたことで、人の親切が身に染みて分かった。涙。」
どうして?自分だけに不運が起こるのか・・・。と、人生の中で自分を責めてしまうこともあることでしょう。
責める必要ありません。
私たち人間は、しょせん、神を超えることは出来ません。
世界一の大富豪でさえも、世界一貧しい国の人でさえも、この世に生まれ変わった時点で、自分自身の心を磨くという修行の第一目的を外すわけには行きません。
輪廻転生が永遠に続くように、この世の修行も、また、永遠に続いて行きます。
これで良い、これで完璧だ!という終わりはありません。
科学の発展、医学の進歩は、20世紀初めの人がタイムトラベラーとして、21世紀を訪れることが出来たら、きっと、驚くことでしょう。
しかし、医学の進歩が進む一方、新しい病気の発見もあります。
脳の病気や新種のウィルスの病気の発見があります。
20世紀は第二次世界大戦で多くの尊い命を奪われてしまいました。
また、70年代頃より、原子力による発電所を世界各国で建てられて、私たち人類に新たな希望を与えましたが、自然災害によって人間の力には限界があるという不安感をも与えています。
科学の世界でも、これで完了ですということはないのです。
人間の魂も、より良い自我を築くために進んでいます。
しかし、私たちの肉体が神になるということはありえません。
まずは、人間らしく生きて行くことが大事になります。
人間らしく生きて行くということはどういうことでしょうか?
生まれ変わったすべての人には、目的と使命があります。
その自覚に基づいて、行動する必要があります。
しかし、あまりにもスピリチュアル的な思想になり過ぎると、不安を招いてしまうことになりかねません。
あくまでも中道の心を忘れないで下さい。
反省ばかりしていると、心は狭くなってしまいます。
もちろん、反省を怠ると自我に流されてしまうこともあります。
そこで、太陽が昇り始めたら、働くときは、働くこと。月が出て来たら、体を休めて下さい。
ときには、家族とみんなで旅行に行ったり、自然を散策したり、音楽を聴いたりして、心を潤って下さい。
仕事、仕事で息が詰まってしまうと、円満な心が錆びついてしまうことになるかも知れません。
そして、大事な物までも見失ってしまうことになるかも知れません。
体を休める、音楽を聴く、旅をする、子供たちと語る、家族と話す、美味しい物を食べる、心を和やかにする映像を見る、そうした時間のない人生は小さな小舟で大きな海を航海しているようなもので、人間らしさから、遠ざかるものといえます。
もっと、ゆっくりした時間を取っても良いぐらいです。
そこであなたに質問があります。
生まれるときにあなたが持って来たものは何ですか?
また、死ぬときに、地位や財産を持って行けますか?
おぎゃーと生まれたときも、死ぬときも、何も身体に身に着けないで生まれ、そして、お迎えが来たときも同じです。
今、お金があるか無かは、人間のこの世における知恵が生み出したものです。
もちろん、お金持ちに生まれるか、貧乏人に生まれるという設定は、自分がこの世に生まれる前に選んで来ています。
カルマ(業)が深い、浅いは関係ありません。
あの世に還り、ある程度、魂磨きをしなければ、この世に生まれ変わることは出来ません。
低いレベルの霊界に還り、早く生まれ変わろうとしても、困難なときがあります。
過去世での悪事やカルマというものは、霊界でみっちりと修正し、修正したかどうかを確かめるためにも現世に生まれ変わる魂は少なくありません。
そのため、例えば、過去世で貧乏をして心を狭くし、罪を犯した場合は、再び、貧乏な環境を選ぶ場合があります。
また、逆に、裕福な家庭に生まれ、我儘放題に生活を送り、学びを行った者は、再挑戦という意味で、裕福な家庭を選び、そうならないように自らの心を磨いて行く人もいます。
これはカルマではなく、カルマの修正が本当に出来たかどうかを試す意味があり、そういう意味で、その環境を選びます。
夫婦の場合も同じように、カルマの清算をするため、また、カルマの修正を試すためにあえて、カルマメイトを最初の結婚で選ぶ人もいます。
人間の価値を金持ち、貧乏という基準で選ぶものではありません。
その風潮を意識し過ぎると、人間らしく生きられません。
お金がある、ない、の条件は、「自分」の心がそうした条件に振り回されず、調和の心を維持し、自分の心をより広げていく魂修行の一環に過ぎません。
大事なのは、心まで貧しくならないように心がけることです。
恵まれた人は多くの病める人達に愛の手を差し伸べることが大事です。
人間の心は、足ることを知らぬ欲望に振り回され、自分を見失っていると「変化」が起こります。
人生の目的を自覚し、大自然が教えてくれる「中道の心」を知ることで、足ることを知った生活、それは、自分を自覚することで、欲望に翻弄される無意味さを知ることが出来ることでしょう。
「足る」ことは我慢ではありません。
与えられた環境、仕事に対して、自分が出来ることをすることです。
商売人は利益を追求することが、仕事でしょう。
その利益をどのように使うかによって、陰徳を重ねることが出来ます。
自分だけのために使うのか、家族やスタッフに分け与えるのか、不幸な人々に愛の手を差し出すのか・・・。
足ることを知らない人たちは、自分が中心であり、人のことなどお構いなしです。
その人達に何かを言っても、彼らが変わる時期でなければ、何も理解出来ません。
足ることを知った環境が集まる場所には、愛に満ちた世界なのです。
そうして、そうした世界に住める場所になれば、人の心はさらにより広くなり、大きく進化させることが出来るでしょう。
私たちは森羅万象の中道に沿って、生かされ、生きているのです。
中道から外れてしまうと、その分、苦しまなければなりません。
片寄らない心、公平にして無私なる心、万全を生かし、自分の心を宇宙に広げた心こそが、中道の心です。
心の安らぎは、このような中道に向かった生き方、反省と、修正した行動によって、培われて行くことになるでしょう。
最後に、感謝の大事さも忘れないで下さい。
私たちは何も身に着けず生まれたが、何も纏わないままで生きることは出来ません。
衣食住という自然の恵みを得て、はじめて生きる希望が湧き生存できるのです。
自然の恵みを無駄にしてはいけません。
物を大事にするとは、自然の恵みに感謝、そして、それをあなたの元に届けてくれた人に感謝です。
ありがとうございます。
【ヒーリング音楽】
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