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ねこねこ百科 =^・^=

  • 執筆者の写真: 国際占い師カズコ
    国際占い師カズコ
  • 2006年9月23日
  • 読了時間: 0分

こんにちは〜! いつも読んで頂いて、ありがとうございます。 今日も皆さんにとっても良い日でありますように! にゃんちゃん続きで行きますね。 ありがとうございます。 ======================= 【古代エジプトからヨーロッパの歴史の中での猫達の活動?】 古代エジプトよりさらに私達人間が知らない場所に猫は存在していたらしい。 私達が知っている猫ちゃんたちの「イエネコ」と言えるネコのご先祖はリビアヤマネコらしい。 さて、ネコを家畜化する一方で、古代エジプト人は猫を神として崇拝している。猫の瞳の鋭敏な変化は、太陽の回転に従うものであり、闇の中で物を見ることができるのは、夜、太陽がネコの目を通して下界を見るためだと考えられた。こうした信仰は、女神バステトを生んだ。 猫の頭を持つ女神バステトは、恵み豊かな太陽の熱を神格化したもので、夜になって眠りこんだ太陽を蛇どもから守るために寝ずの番をしているという。 猫もバステトも蛇の天敵であり、出土したパピルスの中には、猫が蛇の頭を引き裂いている図がある。 紀元前1200年代、第19王朝時代の「死者の書」第17章には、太陽神ラーの化身である聖猫マトゥが、悪と暗闇の象徴である沼地の蛇アポピスと闘う図が描かれている。 神聖視されるようになった猫を殺傷することは、故意・過失を問わず、事情のいかんを問わず、犯罪であり、刑罰を受けることによってその罪を償わなければならなかったそうだ。 また面白い話では、紀元前525年のペルシアとエジプトの戦いでは、ペルシア軍が最前列に猫を配したために、矢を放つことのできないエジプト軍が大敗したと伝えられている。>_< ことの真偽は別として、猫がいかに神聖視され敬われていたかが伺い知れる伝承である。 さて、女神バステトは太陽を神格化したものとされているが、牡猫が太陽とオシーリスに捧げられているのに対し、牝猫は月とイーシスに捧げられたようだ。猫の瞳の変化を月の満ち欠けになぞらえたもので、謎めいた性格や静電気を帯びる体などとたまにスフィンクスと同じと視られるときもあるそうだ。 キプロスにもネコは9千年前に存在していたそうだ。これは考古学で実証済み。 どうやってヨーロッパにネコが持ち出されたのでしょう。古代エジプト人は、聖獣として崇拝していた猫の国外持ち出しを厳禁していた。 これに目をつけたのが抜け目のないフェニキアの商人で、猫を密輸して暴利をむさぼることを企てた。こうして猫たちは小アジアを経てヨーロッパへと持込まれたのである。もともとヨーロッパに飼猫がいなかったことは、『イソップ物語』や『聖書』をはじめ、ギリシア、ローマの古典に猫の記述が全くないことからも伺い知れる。 ヨーロッパに渡った猫は、ネズミなどの害獣を退治する貴重な動物として丁重に扱われた。猫を殺した者は、その大きさに応じた量の小麦を代償として差し出さなければならなかったという。 猫は、次第にヨーロッパの様々な文化の中に浸透していき、猫に纏わる多くの迷信や習慣が生まれた。中には、建物を堅固にするには猫を壁に埋込むとよい、といった猫にとっては大変迷惑な迷信もあった。その他、豊作祈願に子猫が生き埋めにされたり、疫病や災難を被った人の救済のために火あぶりにもされた。 これは猫を忌むべき者とするからではなく、猫に対する高い評価ゆえのことだった。 ヨーロッパの都市が発展し、土地が開拓されるにつれ、増加するのがネズミ。人間の行くところどこにでもネズミが随伴した。ネズミは食物を食べ荒らし、飢饉もたらし、伝染病をあらゆる場所にまき散らしたとも言える。 紀元前の疫病にはじまり、14世紀中頃の黒死病、17世紀のペストと、対ネズミの闘いにおいて、猫は人間の頼もしい助っ人として闘ってきた。にも関わらず、15世紀終わり頃から猫の受難の時代が始まるのである。 古代エジプトで猫が神聖視されたまさにその理由はねこのしなやかな身体と瞳と静電気を放す毛を持ち、歩くときも音を立てず、夜は目を光らせて闇の中を行く。 ヨーロッパ人でもカソリック教会はそれを『魔性』、『魔女』と結び付けるのは容易なことだったろう。確かに猫は早くから民間信仰の中で『魔術』と結び付いていたし、黒魔術や異端的な風習に猫を用いることも多かった。15世紀、法王イノセント・世は、カソリック教会の権威と利益を守るために、邪教や偶像崇拝を排除しないと言い『魔女狩り』を押し進めた。『魔女』の随伴者、『悪魔』のシンボルとされた猫も、そのとばっちりを受けることとなる。猫ばかりか、それを飼う人、かくまう人までもが、水責め、火あぶりに処せられたのである。宗教的、政治的儀式として始まった『魔女狩り』『猫狩り』は、次第に社会的行事となり、果ては娯楽にまでされて延々18世紀まで続いた。 本当にネコちゃんたちに嫉妬したのかしら?と思うほどのカソリック教会。 この受難の時代に終止符を打たせたのは、ドブネズミだった。東方から侵入したドブネズミは、またたく間に土着のクマネズミを駆逐。この機動力溢れる侵入者と相対し人間を助けたのは忌み嫌われたはずの猫だった。単純なカソリックの国の教会関係者たちは変わり身がとても早いので、ネズミ捕りの上手な猫を高値で売買するようになった。 いや〜!それまでは殺し、その後はネコを高く売る考え方には参りますね。@_@(呆れてモノが言えないです。)←自分でツッコンでおります。 その後は不潔さが直接病気と結びつくことを証明してからというもの、これまで平気で触れていた犬や馬を敬遠し始めた。(これもなんだかな〜!)と思いますよ!そのおかげ?かどうかは知りませんが、清潔を旨とする猫だけに門戸を開くようになった。 こうして猫はネズミの退治役ばかりでなく、共に家で暮らし、その美しい姿を愛でるイエネコに変身して猫好きな人達の側にいれる地位を与えて貰った?と言えるのでしょうか。 めでたし、めでたし? おまけで日本での猫達の活動。恩返しと言うと犬の方が有名だが、こんな話もある。病気の恩人にお金を運んだという話が『宮川舎漫筆』に載っている。 商家に飼われていた猫と出入りの魚屋の話である。魚屋は、やって来る度に猫に魚を分けてやっていた。その魚屋が病気になり、働けず、貯えもなくなったころ、人知れず二両のお金が置いてあった。 そのお陰で健康を回復し、くだんの商家を訪ねたところ、二両のお金がなくなったが、その後、お金をくわえて逃げる猫を見つけ、さては最初の二両も猫の仕業と殺してしまったという。 魚屋は、二両のお金に難儀を救われた経緯を話す。主人も魚屋も猫の志しを知り、深く感じ入り、主人は猫がくわえて行こうとしたお金も魚屋に与え、魚屋は猫の死骸をもらい受けて、法名まで付けて手厚く葬ったという。その墓は両国の回向院にある。 ありがとうございます。

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