なぜに貧困な国や障害の多い国に生まれて来るのか。
こんにちは! いつもありがとうございます。 ありがとうございます。 こちらではお久しぶりですね!^−^ ここ最近のこちらの気候は日曜日辺りは28度という温度でしたが、昨日は12度ぐらいになったり、夜はさらに寒くなったりしておりますが、桜に似たお花のアーモンドの木にお花が咲き乱れ始めています。 パソコンで目が疲れたり、肩こりがひどいので、スーパーの掲示板でスカンジナビア・フェアーで指圧とマッサージという文字を見てしまい、アヤナパという地中海の海の近くのホテルでこじんまりしたフェアーでしたが、マッサージをして頂きました。少し首と肩が軽くなりました。ふぅ〜! その日はこちらで大統領選挙だったので、ラルナカで暑かったのでビールを飲んでニコシアに帰るときに、凄い車の渋滞でした。 ヨーロッパ人の話題の中心はサッカーか政治というぐらいですから、最初はサッカーの試合がニコシアであるの?と思っていましたが、実は大統領選挙の結果発表の為に凄い人たちと車で大変なことになってしまう前にニコシアに辿りついた私達は良かった〜!です。マイケルは今まではオーストラリアのパスポートだけだったので、選挙には参加していませんでしたが、今年から選挙に参加した様子でした。 ここもそうですが、市民権を持つ人で選挙に行かないと罰金を払わないといけません。オーストラリアも事情がなくて行かないと、市民権を持っている人は罰金制があるので、嫌でも行かざるおえないということでしょう。 まぁ〜!予想通りの結果になりました。 映画監督の従弟は新大統領とは、とっても親しいので、今回の選挙結果ではかなり恩栄が受けれると喜んでいました。そういう意味では「政治はビジネスだ〜!」と思ってしまいます。私もマイケルも誰がなってもあまり変わらない状態ですが、キプロス問題の北と南が統合されることで、日本行きもトルコ経由で日系の航空会社を使うことで、近くなるかなぁ?と期待しております。 エメレーツの一人分の費用で二人分になれば、温泉に浸かりに時々帰りたい?それとも、イスタンブールのハマンに行くのも、ここから飛行機で1時間ぐらいで良いかも、早く、グリーンラインの無い国になれば良いと思います。 そんな思いをここ数日持ちながら、ギリシャ語学校へ行きました。 おちゃらけなチリ人のルイスはお休み〜!だったので、少しづつ生徒が来なくなっているのか、辞めてしまったのか、目がパッチリしたフィリピン人のジェニファー、スリーランカ人のわたしの後ろに座っているナンデニー、九龍出身のスジィー、そして、わたしとNさんは日本から、もう一人、パレスチナ出身のモールファー(名前がアラビア語で分らないまま・・・。)パレスチナ出身のモールファーだけが、男性であとはみんな女性たち。どこの国から来ていても、女性たちはそれなりに目をキラキラとさせながら、真面目に学んでいました。 ところが昨日のモールファーはペンも教科書もノートも持たずに来ていました。 途中、私が隣のNさんに、「今日はどうも彼はやる気がないようだけど、ペンもないノートもないみたいだけど、貸してあげた方が良いね。」と、言っていたら、先生も皆気づいて、みんな、「貸してあげる〜!」と、ペンを彼に渡そうとする人たち。でも、彼はどうも色々と考えることが多いのでしょう。悲しそうな顔で勉強も身が入らない様子でした。 終わった後に、彼はいつも私達に話しかけてきます。マイケルがお迎えに来ていたのですが、少し、立ち話をしたところ、かなり、暗い話になってきました。 彼はパレスチナ出身ですが、ヨルダンに移民して、そして、キプロスに難民として入って来ていますが、なかなか難民への特権もなくなり始めていたり、さらには、EU加盟国ですから、外国人労働者へのビザも難しくなりつつあるようです。 EU加盟国の国が28カ国ですから、そこの人たちはヨーロッパ諸国であれば働くことも可能ですし、住むことも簡単に出来ます。 ふと、テレビのニュースや特集を見る度に、どうして、ある者は巨額な富を持ち、ある者は貧困であるのかと思って彼を見ていました。 しかし、どちらにも違う意味での試練を学ぶ必要があります。 その試練を選んだのは、個々の魂です。 貧困な人達は今日の糧にも困る人ですから、生きていること、そして、他の人たちと分け与えることを学ぶことができるでしょう。しかし、月でさえもお金に見えているお金持ちは利己的で、高慢ですから、欲望に底かありません。財産が多ければ多いほど、幸せだと思うために、満足感ということを知らないまま、死を迎える人もいるでしょう。 人の役に立ちそうでない人でも、富を持っている人もこの世の中にいるでしょう。それほど価値があるとは思えない人たちの方が富を独り占めしているように見えるときもあるでしょう。 しかし、物質的価値観だけに目が行っている人にとっては、富は恵みのように思えるでしょう。しかし、そういう人が富みを持つことは、逆に貧困よりも苦しい試練になることに繋がることもあります。 私達人間は、恵まれた富者たちを見て、「あの人はわたしが持っていない家や車を持っている・・・、羨ましい。」と思う人の方が多いでしょう。 どれだけ沢山の富みを保持していても、もしも、その富を利己的な形で自分だけのために使うのであれば、その富を持つ人は物質面では恵まれていても、こころは貧しい人であり、最終的には周りも哀れむ人になるときもあるでしょう。 キリストの教えの言葉にも、「苦しむ人は幸いです。彼は慰めを受けるでしょう。」とあります。人それぞれの試練はその人、その人自身が涙と悲しみで気づきを頂き、その途中の経過はそれほど重要視する必要はないのです。 ただ、生きて生活して行くなかで、最低限の糧を私達は胃袋に入れないと、死んでしまいます。どこの国に生まれたから、不幸ではなく、その人自身が苦しむことで、試練として、カルマの清算も必要でしょう。 わたしの大好きな道元師も中国人の典座を終える老人僧侶に言われて気づきます。 「いまやらねば、いつやれますでしょうか、わたしがやらねば、だれがやることができるでしょう・・・。」 自分の修行は、他の人が代わりにやっても、無意味です。 無理せずに、頑張って修行して行きましょう。 ありがとうございます。 ☆思い切り、横になりますが、今日はギリシャ料理のベジタリアンバージョンのムサカを作ってみました。太陽の光が詰まったなすびを手に入れたので! 美味しいかなぁ〜!^−^
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