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お金は再び循環して、もとある場所に戻って来る ♪

執筆者の写真: 国際占い師カズコ国際占い師カズコ

こんにちは! いつもありがとうございます。 ありがとうございます。 さて、今日はメルマガで軽く「幸せになれる人のこころ」を書いてみました。その中での「お金」について書こうと思うときりがないのですが、今日は少し「お金」について綴ってみましょう。 日本もバブル以降からお財布に常に100万ほど入れている人も見かけなくなりましたね。 お金があってもなくても「幸せ」という心がある人はそうなかなかいません。お金持ちのある欧州人の中では、お金の為に働くのではなく、働くのが好きでその後にお金を得るという人達がいます。 そのお金は実は人間関係ととっても似ているのです。 お金は少し旅に出て、循環して、そして、元の持ち主のところへ戻って来るのです。 お金も人間も生き物なんです。これは男女の恋愛にも似ているでしょう。「追えば逃げ」、「追わねばついて来る」という不思議な生き物であることは確かです。 その生き物であるお金ですが、「循環」するという特性があり、ひと廻りして、また元の場所あるいは状態に帰り、それを繰り返します。その事に、多くの人は全く気付いていないのです。あるいは、入って来るお金ばかりに拘り、出て行くお金に気を止めてないかも知れないでしょう。 お金をフランス語の由来でcurrencyと英語でも使っております。つまり、流通するという意味ですが、お金だけでなく何事も絶え間なく循環しているように、お金も同様に循環している事を忘れてはならないのです。 多くの人は、自分の手元にお金が転がり込んでくるときに、何となく元気になり嬉しくなって、強気にすらなります。しかし、これが支払いとなると、これを出し惜しみして、非常に消極的になり、これを支払わずに済ます方法はないものかと策を練ったりする人もいます。 私もプロとして鑑定依頼をお受け致しますが、今年になって1ヶ月以上も鑑定結果をメールにて送った後にお支払いして頂けずに、8年以上もお付き合いしている方だったのですが、もう、鑑定する予定がないと通告致しました。その方は「私と先生の仲ではないですか、多忙で銀行へも行けず、先生が私のことを一番分って頂いていると思いました。ですから、残念です。」等などのメールを頂きましたが、私は親子であっても友達であっても「親しい仲に礼儀あり」「金の切れ目は縁の切れ目」という言葉もあるように、鑑定依頼は急で、でも、支払いは渋る、というのは感心しません。信頼関係で成り立っている仕事です。 サービス業と同じでエステに行く前に値段表を見て、このコースが良いと判断した。その選択はご自身でしょう。そして、後で払うと約束して、払わない、雨が降って銀行に行くのが嫌?だったから、もちろん、病気で銀行に行けないなどということであれば事情もあるでしょうから、それはそれで良しでしょう。 対面鑑定でお支払いを渋る人も稀に数人いましたが、そういう人は2度鑑定は致しません。 約束を守れない人は後で裏切ることがあります。 支払いを滞納する人は、時間にもルーズだったりすることもあります。この物質社会で生きている限り、お金を生きる使い方も出来ますし、死に金にもなります。 豪州時代には仕事の後でWHさんや学生さんと食事をしたりする際はすべて私が支払っておりました。そんなに高い場所に行きませんから、みんなでワイワイという8人ほど鍋を囲んで食べたり、飲茶などは美味しいものです。 でも、ある女性はどうしてもどこどこの高級レストランに行きたいという人がいました。 何度も、何度も言われて、それも二人きりで行きたいと言われて食べに行きました。もちろん、私に奢って欲しいという意思で奢ることを前提で行きましたが、二人で3万ほどの場所でしたので事前にある割引カードを用意して、お支払いのときそのカードを使うと割引があるのを見て、彼女に「カズコさん、せこい!」と言われてしまいました。 何で奢ってまで「せこい!」のでしょうと思いましたよ。最近、その彼女からスカイプに連絡が入っていましたが、無視です。 私も若いときはグルメでしたが、人のお金で食べたいと思いません。 それはともかくとして、人間誰しも、貯金の金額が増えていくのは愉しいものですが、借金ともなると、途端に悲しみに変わります。貯金が嬉しくて、借金が悲しいのです。この感情が、既に間違いを起こしているのです。入金がある時が「喜び」で、出て行くお金には「悲しみ」が付き纏っているのです。 本当は、お金が入る時が「喜び」であれば、また出て行く時も「喜び」ではならないのです。この喜びを知らないでいると、お金は、自分の方へは、再び循環して来ることはありません。その法則は「巡りの法則」です。 キリスト教会であれば、ご自身の給料の10%を献金したり、どこかに募金したりする行為を喜んでします。それは、喜んで支払った分だけのお金が戻って来ます。 あるマイケルの親戚の女性はとってもお金では裕福です。高級ホテル一泊に15万ほど出したり、高級車を数台保持したり、多くの貴金属を保持しております。豪州時代に一緒に高級レストランに同行していましたが、私たちはお肉も食べずともきっちり割りカンでした。マイケルがファッションのお店を経営している際に数着で何十万もするモノを試着し、「親戚だから良いわよね。」という人です。 そういうお金持ちを見ても羨ましいとも思いません。 恵まれない子供達にその1泊分のホテル代を募金したらと思うことさえあります。 私がいつも言う「人よし 我よし」精神は彼女には理解出来ないでしょうから、話しません。 死ぬときにはそのガラクタと一緒にあの世には帰れません。 喜んで送り出したお金は、喜びと共に支払った分、必ず帰って来ます。大きく払えば、大きく。小さく払えば、小さく。これは感謝も同じです。 大きく感謝すれば、大きな光と共に、小さく感謝すれば、小さな感謝と共に。 ですから、あなたが喜んで送り出した分だけ、あなたの手元に戻って来ます。 人が朝起きるときに、その日の希望と活力に満ちて、感謝しながら起きる、そして、寝るときにはまた喜びながら寝る。 お金は入って来るときに、元気で明るく、良い波動と共に、そして、お金を貯めるのであれば、お支払いも嬉しくなるでしょう。これは心像現象と言えます。つまり、「巡りの法則」と流れを促し、あなたが送り出したお金は、あなたの元に必ず戻って来ます。 そう思うとお支払いするときにしぶしぶしてはいけません。催促されて支払うのが非常に損した気持ちになるときもあるでしょうが、その渋って出したお金は手元に戻りません。 それが本当の「貧乏の正体」とも言えるでしょう。 あと、人によっては感情的になる人もいます。これはまたの機会に書いてみましょう。 一方だけが良く、一方だけが悪いとするのは、自他離別の意識であり、こうした意識は、やはり、どこかで行き詰まってしまいます。 多くの人が何か新しいことを始めるにあたり、「お金がお金が」と言い、お金がないから幸せでないと思う人もいらっしゃるでしょうし、でも、お金がなければ何か新しいことを始められないのでは本当はなく、その奥底にはお金を出してまでやるのは嫌だという人もいるでしょう。つまり、失敗や損をするのが怖いから、人には「お金させあれば・・・。」と言い訳しているとも言えるでしょう。 これは違う例では昔の親は子供が大学さえ出れば、優秀で金銭的に困らないから、アルバイトを2つも3つもして子供にせっせと仕送りした後に、子供は親の苦労には関係なく、無駄使いをしている親孝行などもしない人もいます。それはお互いの業ですから、仕方ないともいえるでしょう。 つまり「人よし 我よし」精神でけちけちしないで喜んで出したお金は生き金として活躍してくれることでしょう。 生き金は循環し、死に金は無駄使いの浪費家のように、ガラクタばかりを集め最後には腐ったお金として狭い場所だけで活躍します。 また、機会があればケチや浪費家はどうしてお金での諍いが耐えないか綴ってみましょう。 いつも読んで頂き、ありがとうございます。 ありがとうございます。 そして、オンラインショップより募金をして頂いている方へ、「ありがとうございます。」 ありがとうございます。

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