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あなたは迷信を信じるか?

執筆者の写真: 国際占い師カズコ国際占い師カズコ

こんにちは! 「あなたは迷信を信じるか?」 こちらウィキペディアより少し引用しました。 迷信(めいしん)とは、広く流布されているが科学的な根拠の全くない知識のこと。もしくは、それらを誤信することである。特に、社会に悪影響を及ぼすようなものを指し、多くは超自然現象的な内容を含む。「噂をされるとクシャミが出る」程度の俗信は、迷信とまでは分類しないのが一般的である。血液型による性格分類などは、「全体的に見れば一致する傾向がある」との意見もあるとはいえ、面接において血液型を見るだけで志望者を落としてしまうなど、差別につながったり科学的事実であると誤認されたりするという影響があり、血液型を盲信してしまうことには大いに問題がある。 迷信を研究対象とする学問は民俗学だが、現代の民俗学者たちは「迷信」という用語をあまり使わない。なぜなら上記のように、「迷信」という語の定義が現代社会の科学知識に基づいた善悪的視点による分類だからであり、迷信を民間知識の一環として伝承している社会や集団を分析するに際しては、このような否定的分類が意味を成さないからである。 古来、人間のあいだで科学的思考が確立していなかった頃から様々な迷信が存在し、その一部は現在にも受け継がれているが、現代にもなお新たな迷信は誕生しており、現代のものは科学的に根拠のある知識を装っているもの(そのようなものを疑似科学という)が多いため、現代における科学信仰との相乗効果によって影響の程度はより大きい。 さて、こんな迷信がある。 •風邪は人にうつすと治る •しゃっくりが100回出ると死ぬ •ワカメやコンブを食べると、頭髪が増える •夜に爪を切ると親の死に目に会えない •霊柩車を目撃したら親指(或いは他の指)を隠さないと親族が亡くなる •靴下を履いて寝ると親の死に目に会えない 疑問に思ったのだが、今でも迷信を気にする人が多いのは確かだろう。 日本では特にこれも虐めと思われる「丙午」(ひのえうま)という言葉でその年に生まれた女性達をまとめて悪い意味で使用している。(していた)。 中国など、気の強い女性と我の強い女性は違うし、気が強いということは意思が強い。気とはオーラだ。 だったら、オーラが強いですね。となるだろう。我(エゴ)が強い女性は嫌だが、男性が弱くなっている時代だし、気が強いぐらいの方がこの世知辛い世の中でやって行くには良いと思う。 私は武士家庭で小さな祖母は本当に芯が強いと思った。兄と私は歳が離れているので、ズボラな私がまだ小学校の低学年の時に反抗期が来ていた。今でも兄と父は仲が悪いので、何かの行事があると海外に住んでいる私が呼び出される。 どちらも私は大好きだが、二人とも因縁の仲みたいだ。 身長が140センチほどで小柄の祖母のオーラが大きく見えたある出来事。父と兄が喧嘩になり、父が殴りかかろうとしたときにとっさに祖母が兄の前に出て、「Xを殴るなら、私を殴ってからにしなさい!」と大きな声で叫んだ。 祖母は母方の母だから義理のお母さんを父は殴ることはなく、「おかあさんには関係ないだろ〜!」と父が言ったが、胸を張った祖母はさすがに武士家庭の凛とした背中がまっすぐで、一番小さな人が一番大きく見えた。 祖母は学歴もなく、明治時代の末期の生まれだったが、おばあちゃん、かっこいい!と思わせる気質があった。 戦中には家にあった今だと1本1000万になっているだろうという刀なども、私は現世ではおじいさんに会ったことがないが、すべての刀を差し出したりした様子だ。 疎開してきた子供や、知らない子供にも自分達でさえもいもの蔓しかない時代に分け隔てなく、差し出していた祖母は私に神道や温泉やトイレ掃除をすること、自然界に目に見えない人へも感謝すること、祖母のおばあさんという方達への「お墓参り」にて手を合わせる大事さを教えてくれた。 そんな祖母は暦で自分でお灸をすえたり、目の見えない人が家に来て祖母の身体を揉んでいた。(按摩さん)迷信やジンクスは宗教的な言葉でのすり替えで、色々と誰かを追い込んでしまう。 つまり、以前、ネコのことで書いたことがあるが、時代が変われば、迷信も「名神」になることもあるだろう。 暦で「大安」に結婚したらすべて良しではなく、やはり、相手を気遣う気持ち、尊敬する気持ち、家族意識なども配慮して行く必要もあるだろう。海外ではこの手のジンクス、迷信は差別と同じなので気をつけなければならない。 ここで「丙午」の迷信の記事を引用。 ============================= *ちなみに「丙午の女性」と「丙午の日に生まれた女性」では違って来る。「丙午の日」は天一天上の14日目である。 丙午は干・支ともに火性である。火性が重なることから、この年は火災が多いとか、この年に生まれた女性は気が強いという迷信が生まれた。さらに、「八百屋お七」が丙午の生まれだと言われていた(実際には戊申の生まれ)こともあって、この迷信がさらに広まることとなった。 この年生まれの女性は、気性が激しく、夫を尻に敷き、夫の命を縮める(”ひのえうまの女は、男を食い殺す”)とまで言われる。 特に江戸時代中期に盛んに信じられており、1846年(弘化3年)の丙午には、女の嬰児が間引きされたという話が残っている。1906年(明治39年)の丙午では、この年生まれの女性の多くが、丙午生まれという理由で結婚できなかったと言われている。 この迷信は昭和時代まで尾を引いており、1966年(昭和41年)の丙午では、子供を設けるのを避けた夫婦が多く、出生数は136万人と他の年に比べて極端に少なくなった。その余波により1966年の前年、翌年の出生数は増えた。 文仁親王妃紀子が丙午生まれであることなどから、1990年のご成婚以降、丙午を理由に差別的な言動を行う風潮は影をひそめつつある。 =========================== 21世紀に突入して、地球人として一人、一人がメシアとして目覚めて欲しいものだ、フォトン・ベルトや他の異常な現象は過去のブログ「愛は地球を救う2」8月の記事を参考にして欲しい。 読んで頂き、ありがとうございます。 ありがとうございます。

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