ピカソ☆
こんにちは〜! いつも読んで頂き、ありがとうございます。 そして、マキの心配までして頂いて、ありがとうございます。昨夜は雨が降っていたのと、レストランに行ったのでマキのことは心配だがどこにいるのか分からないので、今夜、元気になっていることを願い行って来ますので、現れたら、様子をを見てみます。 マイケルは昼間に獣医さんの所に連れて行こうと昨日トライした様子ですが、探しても現れなかったので断念しました。マイケルからも皆さんからマキにヒーリングして頂けることを感謝しているとお伝え下さいとのことなので、「ありがとうございます。」代理でお伝えします。 ありがとうございます。 さて、話は昨夜のディナーの席での会話で思ったことです。文章も人の心が表現されるというが、絵もそうだと思う。 昨夜はバレンタイン・ディにて久々に去年以来足を運んでいなかったスパニシュ・レストランに行った。 去年は夜でも暑い時期に行ったので外で食べたが、昨夜は雨が降っていたし、まだ寒い冬なので屋内のテーブルに案内された。 夜の8時ちょっと前に入店した。テーブルに着くと行き成りイチゴ味のシャンペンをかわいいグラスに注いでくれた。 サービスの一環で男性の人にバラのお花を渡して、女性にあげるという粋なサービスも取り入れていた。3年前にキプロスに住み始めたときに同じ場所にバレンタインの日に行ったことがあるが、味もムードもロマンチックとは言いがたかった。それは、キプロス人の6割がタバコを吸っていた国なので、(最近はタバコの値上がりや欧州の基準でレストランでタバコも吸えない場所もあるので減少した様子だ)食事をしながら隣の人達がプカプカとタバコの煙を口からはいている煙を私たちは吸いながら一緒に食事するのは本当にタバコを吸わない人間には拷問と思うときもある。 昨夜はタバコを吸うか、吸わないか聞いてくれたので、禁煙席でセット・メニューが印刷されたカードを見ると、やっぱり、豚、鳥とかその他の肉料理もお品書きに書かれていたので、それを省いてくれていいからとオーナーにマイケルが告げると「ちゃんとベジタリアン用の料理も沢山用意しておりますから・・・」と言ってとっても親切な若いオーナーさんは英語でもちゃんと説明してくれた。 味も本場の味に近いぐらい美味しいし、次から次へとテーブルに置かれて行くお品数は15種類ほどだったと思うが、私はオリーブのオードブルみたいなモノを赤ワインと飲んでいた時点でもう〜!お腹一杯だった。サラダも美味しいかった。 そんな料理を食べながら、壁に飾ってあったピカソ風のキャンバスの絵を見ながら、ピカソの話にマイケルとなった。 皆さんもピカソの絵はご存知だと思うので、絵ではなく、ピカソという人物についていろいろな意見があると思う。 わたしもマイケルも「ピカソは悟っていたんだよね〜!」と話になった。 彼も絵を描き始めたころは普通のラインを使用しているが、ピカソの親友で、バルセロナの小さなアトリエで共同生活をしたカルシス・カサヘマスが、失恋の果てに衝撃的なピストル自殺で若い命を落としたときから、同じ年の親友の死がピカソにもたらした衝撃は、想像を越えたものに変化したのだろうか?わたしも小学校のころに学友が白血病で10歳の命で他界したときに昨日まで隣で一緒に折り紙を折っていた友達が・・・と思ったことがあるが、ピカソはさらなる超越したのであろうと思う。 深い悲しみと共にその時期に描いた絵は表情にはこころが癒やされていないまま表現されていると思うのはわたしだけだろうか。 その20歳そこらの若者の肖像画とは思えない、この世の森羅万象を見尽くしてやるぞと思える気迫が目の力によって見られる。 目力で目がぎょろとしていた日本人版のピカソと言えば、岡本太郎さんではないだろうか?あの大阪の万博の時の太陽の塔は素晴らしかった! ピカソも岡本さんも掴み所がないほど、超越した何かを持っていた。この掴みどころがないアーティストや音楽家ほど天才と呼ばれるのではないだろうか。掴み所がない人物の様に見えたピカソだったが、ある思いは変わらなかったと思える。 それは彼が本来持って生まれたふるさとへの思いや、人が人を傷つける戦争というものに対する一貫した反対の態度を示していた。彼は七変化に変わるアーティストであったと思う。他の芸術家が彼の真似をしようとするとすでに次の新たなテーマで「今度はこれを描いたよ〜!」と子どもが次から次へと何かを発見することが楽しいと思えるワクワクしたピュアな心を持っていたんだろうと思う。 彼が生き抜いた20世紀という時代には2度の戦争が起こった。彼は戦争反対の為に多くの絵を描いていた。科学が進歩の結果を人類に見せ付ける為に人類にとっては今までまったく経験したことのない生きながらにして地獄界を見せてくれた大量虐殺や広島や長崎の原爆投下という歴史に残る事態が起こったのである。 その歴史に残る事件に芸術家の良心も大きく煩悩が揺れたと思う。彼はその事件に関して芸術家というものは、無力であると感じた画家であった。彼ほど有り余るほどの名声と富を持ちながら、人間とは?芸術家とは?何も出来ずに無力な自分だと思ったほどである。 そんな彼だが、彼は生涯にて弱気者、差別される者、攻撃される者や迫害されている者やどうしようもない運命のいたずらに耐えている者に対して、出来る限りのやさしき眼力をもって、多くの人々に接して優しさを描いたのであろう。 彼が晩年に描いたエッチングの絵はスイスにわたしが行ったときに地味なギャラリーで展示会があったので観に行ったことがある。人によってはやらしいと思う人もいるだろうが、性器とかは、やはり産道と同じで生まれて来るにはここを誰でも通る必要がある。深い愛という言葉を理解していたに違いないと思う。 20世紀という時代に生きることになった同時代の人々の心を彼という人間の身体を使って霊界からのメッセージを作品として創作してくれたのではないだろうかと思う。そして、その時代の人類の見た夢が彼の絵を通じて綴られているような気がする。夢には悪夢もあれば、優しいララバイの歌声が聞こえてくる夢もあるだろうから、いろいろな夢が彼の描いたキャンバスに残された気がする。 しかし、ピカソが亡くなってから30年以上が経っているのであろうか?この世知辛い時代にはなんでもかんでも儲かればと思う商売が多いし、なんでもマニュアル化している時代に、ピカソの絵を見ることで元気や癒やしの世界を体験出来ると思う。 ありがとうございます。
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